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ブータン版『二十四の瞳』 『ブータン 山の教室』を見て

3度目の緊急事態宣言発令で、また映画館が休業を強いられる中、数少ない営業中のシアター、岩波ホールに出かけた。神保町にあるこのホールそのものが昭和の香りがする場所だが、そこで見た映画『ブータン 山の教室』は、昭和の山の分教場を思わせる雰囲気が濃厚で、新任先生と生徒たちの交流が、ブータン版『二十四の瞳』といった趣である。

教育実習をする立場にありながら、オーストラリアで歌手になることを夢見る主人公ウゲン。怠惰な生活を続けている中、ある日教官に呼び出され、1年限定で山奥の学校へ赴任するよう命じられる。「僕には無理です」と答えたものの、やむなく山へ向かったが、バスの終点からさらに7日もかけて山道を歩いていかなければたどり着けないへき地。村からの迎えの人に案内されて、野営をしながら標高4800メートルの目的地・ルナナを目指す道中の情景が素晴らしい。

やがて到達した村はずれで、村長以下56人の村民全員の出迎えを受けるシーンが心に残る。余談だが私自身、かつて取材で訪れたマーシャル諸島の離島で「海から来た人は誰でも歓迎するのです」と言われ、村長以下総出で出迎えられたことを思い出した。

ルナナ村長に案内された学校は、廃墟のようなところで、黒板も教材もなく、机には埃がたまっていた。翌朝、宿舎で寝ていると入り口をたたく音が。ドアを開けると小さな女の子が「クラス委員です。授業は8時半からで、今は9時です」と起こしに来たのが微笑ましい。慌てて教室に行くと、机に9人の子供たちが座っていて、十八の瞳が、きらきらと目を輝かせて先生を見つめている。まず自己紹介から始めて、ある男の子に「将来何になりたい?」と尋ねると、「先生になりたい。先生は未来に触れることができるから」

電気も水道もない山の中で、工夫をしながら子供たちに学びを与え、村民たちと交流するうちに、次第にウゲンの心にも変化が訪れる。やがて冬が近づき、村を離れなければならい時がやってくるが、果たしてウゲンは当初の約束通り帰るのか、それとも残って子供たちに教えを続けるのか…

監督パオ・チョニン・ドルジは、30代後半の若い人で、この映画が初めての長編作品らしい。写真家でもあるそうで、ブータンの雄大な風景が瑞々しく、物語に彩を添えている。また出演者も映画初出演の人も多く、素朴な演技が好ましい。特にクラス委員を演じる女の子(ペム・ザム=本名)は、実際にルナナに住んでいる少女というのが驚き。とても愛嬌があり、そのほかの子たちもみんな素晴らしい。村長役の人も味わいがあり、「子供たちに教育を与えてほしい」と若い教師に懇願する真摯な姿に、教育の原点を見る思いだ。

全編に流れるブータンの伝統歌「ヤクに捧げる歌」(ヤクは牛のような家畜で山の生活を支える大切な生き物)が、日本の民謡や演歌のこぶしにも似て、耳に残る。

最後に監督の言葉を―

「本作は、ブータンのさまざまな話を継承したいという想いから生まれました。この映画のストーリーのあらゆる要素は、私がブータン中を旅したときに聞いたエピソードや、出会った人々がベースになっています。そこにこそ、ブータンという国の本当の“価値”が宿っているのではないかと私は考えたのです。私は、これからを生きる世代がブータンの独自性を忘れないでほしい、という思いを込めてこの作品をつくりました。」(パオ・チョニン・ドルジ監督)

コロナ禍で鬱陶しい日々が続く中、一服の清涼剤にもなるこの作品。今は失われつつある人情と、子供が本来的に持っている「知」に対する興味を大人がいかに満たして上げることができるのか、そのことの大切さを改めて考えさせてくれる。久しぶりに見た<文部科学省選定>の文字が引いてしまうが、感染予防をしてご覧になることをお勧めしたい。(「昭和のおやじ」記)